昨日からアメリカはサマータイムが始まりました。起きたら1時間ワープしてました。日曜日に始まってくれるので、週末がお休みの人にはありがたいです。週末お仕事の人は、遅刻してしまう人ってどれくらいいるのだろうかと思います。
「日本時間に8時間足して昨日」になりました。日本のテレビが観られるようになったのはサマータイムが終わった後なので、いつも「めざましテレビ」を観ながらお昼ご飯を食べていましたが、今日からは1時間遅い13時25分から始まります。主人は残念ながらめざましテレビとはしばしお別れです。
この時期で19時になっても少し明るいです。ということは、夏至の日辺りになったら20時過ぎても明るいのでしょうね。何だかワクワクします。
アメリカは今日が3月11日ですが、日本時間では昨晩が震災から2年の時でした。当時はビルの38階で働いていて、尋常じゃない揺れに身動きできなくなり、直前にマグカップに淹れたばかりのお茶がこぼれそうだったので、マグカップを持ち上げ立ち上がって踏ん張っていました。デスクの引き出しは勝手に開閉するし、会議室のドアはスライドするし、私は見ていなかったのですが、同僚から聞いたところ周りの高層ビル群が免震でグニャグニャと曲がっていたそうです。千葉県のコンビナートでの爆発や台場の火事も見えて、本当に怖かったです。
地震がおさまっても揺れはしばらく続き、軽い船酔い状態でした。家族と安否確認をしまずはひと安心。テレビをつけながらも、しばらくは仕事を続けましたが、帰れる人は帰っていきました。エレベーターも止まっているので、みんな徒歩で階段を降りて行きました。私はとてもじゃないけど帰れる距離ではないので、会社に泊まりました。安全上ビルから追い出す会社もあった中、泊まらせてもらえたことは本当に幸いでした。
職場のテレビに釘づけで、会議室の椅子を組んで仮眠したのは2時頃だったでしょうか。それまでに会議室でご飯を食べさせてもらったりしましたが、その際に色んな人がいるものだと考えさせられました。ここで詳しくは触れませんが、こんな人が人の上に立っていいのかな、など。翌日午前中にようやく電車が動きだし、お昼前に会社を出て、無事に帰宅できました。
私自身、通勤での間引き運転以外は震災の影響を受けませんでした。私にできることと言えば募金や必要品の寄付です。会社の掲示板で情報を得て物を送ったり、会社での募金を利用していました。でも、会社を離れる身とわかっていて、何か続けられるものはないかと思っていたところ、会社での講演会をきっかけに「桃・柿育英会」に参加することにしました。これだったら定期的に
微力ながらも協力できます。将来を担う子供たちに少しでも笑顔が戻るよう願ってやみません。
つい、元の生活に戻ってくると、それが当たり前のように思ってしまいます。毎日健康でいられる、寒い時に暖かい部屋にいられる、食べ物が揃っているというのは、とてもありがたいことなのだと、改めて思います。平和ボケの私にとって、こうやって考える日は必要ですね。
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