日本で桜がそろそろ咲くかもという時期、メルボルンでは朝晩は涼しくなてきたかなーという頃、日本に住んでいる父が他界しました。
2020年の3月中旬から国境が閉まり続けているオーストラリアからは一時帰国することもできず、父を見送ることはできませんでした。
イマドキだなと思いましたが、弟がLINEでお通夜や告別式の中継をしてくれて、オンラインで参列できてお見送りできたのはのはせめてもの救いでした。
一時帰国することができない、というと若干ニュアンスは違ってくるのですが、正確に言えば「オーストラリアに再入国することができない」ということです。
現在オーストラリアは、原則、国民と永住権を持っている人たちが、出国と再入国の申請をして許可された上で、海外渡航が許されている状態です。
私たち夫婦のビザはテンポラリービザのため、原則オーストラリアを出国してしまうと再入国が不可能になります。ただ、例外もあって、家族の葬儀に参列する場合等、深刻な理由がある場合は別です。私もそれにあたりましたが、諸々検討した結果諦めました。
オーストラリアに住んでいる、永住権を持っている同じ境遇の人のブログを参考にさせてもらったり、メルボルン領事館にも問い合わせてみたりしました。
領事館に、テンポラリービザホルダーが出国した後に再入国した例があるか尋ねると、とても丁寧に回答してくださり、駐在員の方が数名ご家族の不幸で帰国された例はあり、再入国されたと。
ただ、再入国の申請を何度か却下されたとのことで、会社の後ろ盾がある彼らでもそういう経験をしているので、何の後ろ盾もない私が戻って来れる気がしませんでした。申請が許可されても、戻って来れる保証はひとつもありません。
それだとあまりにリスクが大きすぎたのと、ただでさえ慌ただしいのに、日本にいる家族の協力への負担(戸籍謄本の取り寄せ、病院への英語の診断書の依頼等)、航空券代の高騰、日本での自主隔離、オーストラリアに戻ってからの強制隔離費用と、金銭的にも現実的ではなかったです。
そうこうしている間に、父の容態があっという間に悪くなってしまって帰国を決断したとしても全然間に合いませんでした。
2019年5月末に渡豪してきて、1ヶ月半後の7月に父の病気が発覚し、8月に手術をしました。父が手術した8月から2020年の2月まで、3回一時帰国をして、父の看病や母のケアをしてこれたことは本当によかったと思っています。
渡豪当初は、今までとても元気に働いていた父が、まさか病気になるなんて、そして1年後にオーストラリアの国境が閉まり、自由に行き来できることができなくなる世界が来るなんて、ましてや親の死に目に会えないなんて、思ってもいませんでした。
海外に住んでいると、日本にいる家族の健康問題は気になるところではありましたが、今までだと何かあればすぐ駆け付けられるという気持ちでいました。それができなくなるなんて。
「まさか」は普通に生きていても起きることではあるのですが、コロナウイルスの流行はまさかのまさか過ぎて多くの人たちの人生が狂いましたよね。
たまたま自国に一時帰国していて、国境閉鎖で戻って来れなくなった人たちはまだまだたくさんいます。また、私のように、家族の問題で自国に一時帰国したくてもできない人たちもたくさんいます。
海外に住むってこういうことなんだと改めて思った1年でした。
オーストラリアは全く国境を開ける気配がありません。せめて父の一周忌には帰国できたらなと思っていましたが、向こう1年は開かないだろうという噂もあって、既に諦めました。
在外日本人は、年に1度の一時帰国を楽しみにして過ごしていた方も多いと思います。それすらできず、今できることをみんな頑張っている状態です。
家族孝行ができる人たちは、この「まさか」で後悔しないように、できる時にできることをやって欲しいなと思います。
前回のエントリーから4ヶ月半過ぎて、その間にも2回ロックダウンをしているメルボルンですが、そんな感じでも外食はしていて、溜まったはらぺこ記事を書こうかと思ってはいたのですが、まずはこのことを、この時の自分が思ったことを、備忘録を兼ねて、残しておこうかなと思った次第です。
食べることが大好きで、このブログを読んでくれていた父のためにも、このブログはぼちぼち続けて報告していきたいなと思っています。